一冊の本から始まる旅。ET的ブックスケッチ『旅ドロップ』編

旅の思い出を、ドロップ缶につめこんで


旅先で、最初に行く店が決まっているのはうれしいことだ。そこに行くと、あれ、またここにいる、と感じる。たとえ一年ぶりだったとしても、その一年間は消えてなくなり、前回の旅と今回の旅がつながってしまう。――『旅ドロップ』(江國香織/小学館)より

旅の思い出は、いつもポケットに入れておける色鮮やかなドロップのようなもの。

たまにポケットから缶を取り出して、甘い香りをかいでみたり、ちょっと舐めてみたり。蓋を開けずにただ振って、カランコロンという音を楽しんでみたり。

旅ドロップ』を読むと、ドロップ缶で一人遊びするふわふわヘアの江國香織さんが目に浮かびます。繊細で透明感のある物語が魅力の江國さんワールドは、エッセイだとちょっとおちゃめな色をまとうみたい。

 

キュッと心がつかまれる、旅先の食の話

ソウルに着くとまず向かうサムゲタンのお店。

コーヒージョイという薄焼きビスケットを食べながら想像する異国。

アメリカ・テネシー州のアイスクリーム屋さんで起きたささやかな勘違い。

会社から帰ってきた夫のスーツのポケットに、無造作に詰め込まれた旅のお土産。

その可憐な風貌から、グルメ作家・食いしん坊作家のイメージは薄いのでは。でも江國さんが描写する食べ物には、いつもキュッと心を掴まれてしまいます。おいしいものを食べる楽しみをよくよく知り抜いていて、食の思い出を大切に保管している人なのでしょう。

 

旅の甘さは、一期一会

帰国して、早速紅茶を淹れてみた。が、茶葉が細かすぎて沈まず、表面にびっしり浮いてしまい、いつまで待ってものめなかった。大きな板状ウエハースは、あけるとたちまち湿気てしまった。どうしてなのか、わからない。――『旅ドロップ』より

シベリアの小さな街を訪れたとき、映画館の館長さんが淹れてくれた紅茶と添えられたウエハース。驚くほどワイルドな方法で淹れるそれは、これまた驚くほどおいしかったそう。でもそれを嬉々として自宅で再現してみても、あら不思議。なかなか同じようにはりません。

旅と日常は、簡単には交わらない。だからこそ旅は貴重で、そして甘い。江國さんが見せてくれる色とりどりの旅ドロップを眺めながら、つくづくそのことを実感します。

WRITTEN BY

梅津 奏

Kana Umetsu

他の記事を読む