「山に行きたい」山旅欲をかき立てるのは、仮面をつけて生きる疲れ
「靴を選びながら、美津子さんって、意外と山が似合うんじゃないかと思ったんです」――『山女日記』(湊かなえ/幻冬舎文庫)より
街にいるとき私たちはたいてい、薄いベールをまとっています。仮面と言ってもいいかもしれません。
社会人としての顔、父・母としての顔、息子・娘としての顔、頼れる●●さんとしての顔…。
なんらかの役割を背負って生きている限り、その仮面は相棒のようなもの。
ときには、仮面があまりにもしっくり身についてしまって、自分の素顔を忘れてしまいそうになることもありますよね。
深夜に帰宅して寝落ちしてしまい、朝起きて顔を洗ってすぐまたファンデーションを塗るとき。自分が“社会性”の鎖にがんじがらめになったような息苦しさを感じます。
そんなときにむくむくと湧き上がってくるのが、「山に行きたい」という思い。
それぞれの思いを抱えて、女たちは山に向かう
社内不倫中の同僚と気まずい雰囲気で出かける妙高山。
元バブル女子が婚活で出会ったさえない男性と登る火打山。
夫に離婚を切り出され千々に乱れる心を抱えて目指す利尻山。
『山女日記』は、さまざまな悩みを抱えた女性たちが「いつもと違う場所」を求めて山に登る連作長編。
それぞれの小さな登山旅が、彼女たちの力みをほどき、胸の奥に隠していた本音を語らせ、仮面をそっと外してひとときの「素顔時間」を与えてくれる様子が描かれています。
一歩一歩足を踏み出し、素顔に戻っていく女たち
何時間もひたすらに足を前に踏み出し、したたり落ちる汗でセットした髪も化粧も見事に崩れ落ちていきます。
手足がばらばらになりそうなりながら頂上に着くころには、ろくに口もきけないほど息が上がり…。
「すごく今、気分が楽です。天狗の庭を見ながら、神崎さん、言いましたよね。目的地は過去の中にある。それって、わたしにとっては、山に戻ることなんでしょうかね」――『山女日記』より
全身の疲労によって少し呆然とした、解毒されたような、女たちのすっぴん顔。彼女たちの横顔がすぐそこに見えてきそうな臨場感が伝わる一冊です。
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一冊の本から始まる旅。ET的ブックスケッチ『山女日記』編
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